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東京高等裁判所 昭和43年(行ケ)162号 判決 1975年12月16日

原告

武田薬品工業株式会社

右代表者

小西新兵衛

右訴訟代理人弁護士

内田修

同       弁理士

松居祥二

外二名

被告

特許庁長官

斎藤英雄

右指定代理人

佐藤輝久

外三名

主文

特許庁が昭和四三年一〇月七日、同庁昭和四〇年審判第五六一九号事件についてした審決を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実および理由

第一当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は主文同旨の判決をもとめ、被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決をもとめた。

第二争いない事実

一  特許庁における手続の経緯

原告は昭和三七年四月七日特許庁に対し、名称を「ビタミンB1ならびにその誘導体の無痛注射液の製造法」とする発明につき特許出願をしたところ、同四〇年七月一五日拒絶査定を受けた。そこで、同年八月一九日審判を請求し、同年審判第五六一九号事件として審理されたが、同四三年一〇月七日「本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決があり、その謄本は同年一〇月三〇日原告に送達された。

二  本願発明の要旨

ビタミンB1ならびにその誘導体(以下「ビタミンB1類」という。)に、五価または(および)六価アルコール〔ただし五価または(および)六価アルコール中医薬として使用できるものを用いる場合は薬効期待量以下〕(以下「多価アルコール」という。)を添加することを特徴とする、ビタミンB1ならびにその誘導体の無痛注射液の製造法

三  審決理由の要点

本願発明の要旨は前項掲記のとおりである。ところで本願発明において、出発物質の一方の配合成分であるビタミンB1類、また本願発明によつて製造される注射液は、いずれも医薬である。

そこで出発物質の他方の配合成分である多価アルコールについて検討すると、多価アルコールによる疼痛の軽減が、それ自体直接神経系に鎮痛剤として作用するからでなく、ビタミンB1類の水溶液中にある水素イオンの生体に対する刺戟作用を緩和させることによるものであるとしても、無痛化によつてその注射液による病気の治療・予防の目的が容易かつ効果的になる場合には、無痛化なる生理作用は、病気の治療・予防等に関与しているものといわねばならない。従つて、このように注射時における薬物の刺戟による一過性の疼痛を軽減させるものであれ病気の治療・予防等に関与する、こうした特定の生理作用を生体に対しておよぼす物質は医薬とみるべきであり、多価アルコールは医薬と解するのが相当である。

そうすると、本願発明は、結局二つ以上の医薬を混合して一つの医薬を製造する発明となるから、特許法第三二条第二号の規定により、特許を受けることはできない。<中略>

第五裁判所の判断

一取消事由第一について

多価アルコールは、一般的用途としては食品用・工業用に使用され、薬用としては糖質補給の目的で使用されるが、本願発明における使用量では糖質補給の効果は生じないこと、多価アルコール単独では人体に対する麻酔作用など無痛化の効力は生ぜず、また本願発明前多価アルコールが無痛化の目的で使用された例はないことは、いずれも当事者間に争いがない。

そして<書証>本願明細書、手続補正書、医薬品要覧、証明書によれば、糖尿病その他の医療における糖質補給の目的で使用される多価アルコールの量に比べると、本願発明に用いる多価アルコールの量はその数十分の一程度にすぎず、糖質補給の薬効を生ずるには遙かに遠いものであることが認められる。

そしてビタミンB1類自体による注射液は、注射液の酸性と分子自身の生体に対する刺激により人体に疼痛を生じさせるが、本願発明によるとこれを軽減する効果を生ずること、原告が実施した核磁気共鳴吸収スペクトル法などの実験によれば、本願発明ではビタミンB1類と多価アルコール間には分子間水素結合を生じていることは、いずれも争いがないところである。なお、その分子間水素結合が人体内においても維持されているかどうか、いかなる機構により無痛化の効力を生ずるかについてはいずれも証拠がなくその根拠を見出しがたいところであるにしても、前示のとおり多価アルコール自体では無痛化の効力を生じないのであつて、本願発明に用いるその量の程度にてらしてみると、少なくとも本願発明において無痛化の効力を生ずるのは、多価アルコールとビタミンB1類との間における何らかの化学的な相互作用の結果によることが推認され、多価アルコール自体のそなえる属性によるものでないと認められる。

ところでまたビタミンB1類注射時の一過性疼痛は、人の病気ではないことは争いがなく、人の日常の一般生理状態に重要な影響をおよぼす生理作用といえないことも弁論の全趣旨から明かである。(特許第二〇九六九一号「無痛ビタミンB1注射液の製造法」公報「無痛性ビタミンB1注射液の製造法」公報および弁論の全趣旨によれば、本願発明における無痛化は、ビタミンB1類の薬理作用を奏させる上で不可分―不可欠のものではなく、またその薬理作用自体を増加させるものでもなく、さらに何らかの副作用を防止するものでもないことが認められる。そうすると、注射時における一過性疼痛の軽減を目的とする本願発明における無痛化の作用は、特許法第三二条第二号にいわゆる人の病気の診断・治療・処置または予防の目的にそう薬理作用ではないと解するのが相当である。

以上の各事実にてらしてみると、本願発明における多価アルコールは医薬でないとするのが相当であり、これを医薬と認定した審決は重要な事実認定の誤りをおかしているといわねばならない。

二結論

そうすると、その余の判断におよぶまでもなく、本願発明を二つ以上の医薬を混合して一つの医薬を製造する方法とした審決は、その判断を誤つており、違法であるから取消されねばならない。

よつて原告の本訴請求は正当であるから認容し、訴訟費用の負担については、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(古関敏正 宇野栄一郎 舟本信光)

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